東京神社

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忘れられた日本 負け犬が新天地で成り上がり 中野 明徳稲荷神社

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神社内の立て札には下記のように書かれていました。

この稲荷神社は、江戸時代に中野村の名主をつとめた堀江家の敷地(約二万一千平方メートル)の東北の隅に位置しています。
東北の方角は古来、鬼(おに)や災難が入ってくるという鬼門(きもん)として忌(い)み嫌われていました。
このため、堀江家では、敷地内に神を祀(まつ)って鬼門除けとしたものです。
 堀江家文書によれば、中野宿で市場の繁栄と安全のために祀(まつ)った市神という神社の記録があり、これが明徳稲荷なのではないかとも考えられます。
大正時代に地元の人達が堀江家から稲荷神社を譲(ゆず)り受け、現在にいたっています。
 関東大震災第二次世界大戦の際に罹災(りさい)しているため、
江戸時代の社殿や、古記録は残っていませんが、狐(きつね)の彫り物のある慶応(けいおう)三年(一八六七)の手水鉢(ちょうずばち)にわずかながら往時をしのぶことができます。
この稲荷神社には、明徳稲荷のほか、火伏(ひぶ)せの秋葉(あきば)神社と雨乞(あまご)いの榛名(はるな)神社とが祀られています。